2024年のテレビドラマ『不適切にもほどがある!』。略称の『ふてほど』は同年の流行語大賞にも選ばれ、話題となりました。その『ふてほど』で認知度が高まったのが女優の河合優実さんです。
学生の頃から多くの作品に出演している河合さんは、女優の道を極めるとして演技の大学に入学したもの、中退していたことがわかりました。果たしてなぜなのでしょうか?
本記事では河合さんが通っていた大学や中退した理由、それまでの歩みについて振り返っていきます。
プロフィール
さすがに今年の主演女優賞は河合優実さんが独占でしょう。でなきゃうそ pic.twitter.com/v7rQVQRTdo
— ⁂ ⌘ 背 骨 ⌘ ⁂ (@sebone_returns) November 12, 2024
- 氏名 河合 優実(かわい ゆうみ)
- 生年月日 2000年12月19日
- 身長 166cm
- 出身地 東京
- 事務所 鈍牛倶楽部
2021年から2024年にかけて、最優秀新人賞や女優賞などを受賞する実力派女優です。デビューは2019年2月、当時は18歳でした。デビュー後、テレビCMやMVで引っ張りだことなり、密かなブームを呼んでいました。
高校時代には「見た目が山口百恵に似ている」と言われ、検索して盛り上がったという話も。また『ふてほど』では昭和時代を生きる17歳の少女を演じたこともあり、河合さんは「令和の山口百恵」と呼ばれて話題になりました。
憧れの役者は森山未來さん。「表現者として、好きなことだけを追求している姿に憧れる」と話し、生き方も含めて大好きだと言います。
大学生活について
ここからは河合さんの大学生活について解説していきます。
日本大学芸術学部に入学
河合さんは日本大学芸術学部・演劇学科に入学していました。日芸と呼ばれ、東京五美大の一つとして有名です。
偏差値は42.5-52.5ですが、実は入学がとてつもなく難しいという噂があります。特に、河合さんが入学した「演劇学科」や「放送学科」などは、日芸くらいにしかないということもあり、この2つの入学の難しさは別格なのだそうです。
狭き門を抜けた河合さんが、どれだけ優秀だったかがよくわかりますね。
また、進路を決めるにあたって両親と揉めたこともあったそうです。もともとは一般の大学へ進学する予定が演技の大学に変えることや、事務所を探し始めると言い始めた頃から両親は顔色を変えたと言います。
ただ、役者になりたいと話すのは恥ずかしかったという河合さんは、高校在学中に事務所に所属し、行動で説得したと話しています。
女優の見上愛と同級生
同級生に女優の見上愛さんがおり、交友関係があるそうです。
素敵な関係性、、
河合優実ちゃんmame似合う〜
見上愛ちゃんのワンピースも可愛いけどどこのだろう#ボクらの時代 pic.twitter.com/n4DqLo43Cy— ◯ (@aoo0010) June 9, 2024
入学のオリエンテーションの前に、見上さんから声をかけたことで2人は仲良くなったのですが、見上さんは「とにかく目を引く人が歩いていた」と声をかけたきっかけについて話しています。
2人はプライベートでも仲良しなのだそうです。
新型コロナを理由に中退
高い志を持って日本大学に入学した河合さんですが、3年生の2021年に中退していることがわかりました。
2021年といえば、新型コロナウイルス流行の真っ只中です。この影響で、実技の多い学科がリモートばかりになってしまったのだそうです。
ダンスや演技はオンラインより、直接肌で感じて学ぶ方が身に付きます。思うように学ぶことができなくなったのが中退の決め手だったのでしょう。
取材では「また勉強したいって思うタイミングが来たらいいかと、今は現場で頑張ろうと思っている」と答えました。
大学に入学するまでの経歴
ここからは、河合さんの歩みを振り返り、どのような流れで女優を目指すことになったのかを紹介していきます。
今とは大違い?内向的だった幼少期
河合さんは、医者の父と看護師の母との間に、三姉妹の長女として生まれました。
幼少期はどちらかというと内向的だったようで、過去のインタビューでは「ひとりだけ別行動をするのが好きな子だった」「みながおままごとで遊ぶ中、ひとりだけひたすら色水を作り続けていた」と話しています。
一人だけ別行動をすることが好きだったという河合さんは、協調性は大丈夫なのかと母親に心配されていたのだそうです。
表現の楽しさを知った小学生時代
河合さんは地元練馬区の高松小学校に通っていました。
幼少は内向的だったという河合さんは、妹さんの影響で3年生のときにダンスを習い始めました。このことがきっかけで、体で表現することを楽しむようになったのだそうです。
また、親戚が集まる席では「一芸を披露しなければならない」というルールがあり、人前に出て芸をすることは幼少期から身近にあったのだと言います。
バスケ部で大活躍だった中学生時代
河合さんが通っていた中学校はわかっていませんが、練馬区の中学校に通っていたものと思われています。
中学校にはダンス部がなかったため、バスケットボール部に所属していたそうです。このことについて河合さんは「ダンスとバスケのおかげで人並みの体力になった」と、それまでの体力テストの成績が悪かったことを明かしました。
体を動かすことが好きなのと、運動が得意であることは似て非なるものです。河合さんは苦手だった運動をダンスとバスケでカバーしていたようです。
ダンスを再開!目立つ存在だった高校生時代
河合さんは、東京目黒区にある都立国際高等学校に進学しました。
偏差値68の難関高校で、都内の公立高校の中で10位内に入る学力の高さです。都立高校としては唯一の国際学科を設置しており、入学には高度な英語力が要求されます。
そんな難関高校に入学できるほど、中学でも勉強を頑張っていたと河合さんは話しています。その優等生ぶりは学級委員に推薦されるほどでした。国際学科のため、3年間しっかりと勉学に励んだ河合さんは英語が流暢に話せる可能性がありますね。
高校では離れていたダンスを再開し、文化祭や体育祭などの学校行事のたびにダンスを披露するなど、自ら目立ちに行くような存在だったと言います。また、高校でのダンス部は、衣装制作や音源の編集を含めた、企画から発表までのすべての工程を生徒が行うという習わしでした。
自分たちがつくったものを舞台の上で発表することが、この上なく楽しかったと話す河合さん。このときに、エンターテインメントの世界に飛び込むことを考え始めたそうです。
まとめ
さまざまな高い壁を乗り越えて役者に至った河合さん。好きなことも勉学も疎かにすることなく、ひたむきな努力を続けたからこそ夢を叶えることができたのでしょう。
大学は中退してしまったものの、これまでの経験は現在の演技にも活かされているのは確かです。
今後の河合さんの活躍には期待せずにはいられませんね。